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愛というエネルギー

愛というエネルギーは、見ようと思わない限り、見えない。

感じようと思わない限り、感じられない。

 

伝えようとしなくては、伝わらない。

伝えようとしても、伝わらない事もある。

 

気にかけてみたら、実は愛はいつでもそこに溢れている。好きな相手に振られたときでさえ、その持論で自分を肯定した。初めからそこにあった愛は増えたわけでも減ったわけでもないと。ただそれを感じることを辞めただけだと。

 

自分の周りが愛で満たされていると感じられる時、穏やかな気持ちになれる。

あなたの周りは愛で満たされている?

 

アインシュタインが自分の娘に伝えたかった、大事なエネルギーがあるという。

それは愛のエネルギー。

全てのエネルギーの源だという。

 

小学生の高学年になったばかりの頃学年主任の先生が、『愛』という言葉について考えましょう」とおっしゃった。「愛」と言ったら、当時の私は男女の間の「恋愛」ということしか思いつかず、当時「恋愛ごっこ」で盛り上がっていたクラス内のカップル達を瞬時に思い浮かべて、先生がきっと「いろんな形の愛があります、男女の愛、親子の愛、云々云々」と話されていたと思うのだが、全く耳に入ってこなかった。

 

もちろん、ここでテーマにしたいのは全てのエネルギーの源である「愛」について。「慈愛」ということになるのかもしれない。

 

「愛は地球を救う」というタイトルで、もうずっと続いている、24時間テレビという徹夜で頑張る精神より、自分たちの愛を伝えようというチャリティー愛への関心は世間でも昔からあった。それは今も続いている様だ。

 

今日のテーマ、『愛というエネルギー』は、昨日のブログhttps://www.visionarymellc.com/2020/10/14/生きてる/ の続きだが、「生かされている」という命の意味。

 

そして命を使う『使命について』

 

人は愛によって生かされている。とも言い換えられる。

被災し、両親と家を失った小学一年生は「私は人を笑顔にする為に使命を果たしたいです」と答えたという。

 

2013年、東日本大震災の2年後、石巻市の湊小学校を尋ねる事があった。

そこでお会いした星先生から伺った、愛の話。

 

原発があった女川町で星先生は校長先生をされていた。全校生徒は津波で助かった。しかしその全校生徒の半分の家が海側にあり、津波に呑まれて家も家族も失った。そして山側にあった半数の家族と家は助かった。悲しみに打ちひしがれている生徒達と、無事を喜ぶ生徒達との狭間で、検討した結果、何よりも子供達の心の傷を癒すためにと、被災後4日目から学校を再開することに決めた。そこでは「お父さん」「お母さん」「津波」の3語は、先生方の口からは出してはならない禁句だったし、2年立っていた当時もまだ禁句だった。家族を失った人たち、または助かった人たち、みんな一丸となって支え合った。子供達の学習にも遅れが出ないように、不安にならないようにと、塾のようなサポートをいち早く声をかけて、ボランティアチーム、寄付などで行ったことも、確実に孤独を支え合えたと、断言できるとおっしゃっていた。

 

津波の後、奇跡的に助かったヒマラヤスギが一本あった。後に楽器になったり、と語り継がれている木だ。その杉が助かった理由は何だろうと、被災後初めての朝会で星先生が全校生徒に尋ねた。

助かった山側の子供は、「長い年月根がしっかり生えて丈夫だったから」と答えた。家と家族を失ってしまった海側の家の子供は「みんなの愛が木に宿っていたから」と答えた。そこで助かった自分は愛のおかげだと、愛を意識している彼女の言葉に感動したとおっしゃっていた。この少女を引き取った叔母は、「亡くなった妹(少女の母親)もきっと同じ答えを出したと思う」と話していたそう。

 

同居していた両親、奥さん、そして子供たちを、津波で一度に亡くし、1人で助かったお父さん。病気になったわけではないのに、衰弱し4ヶ月後に亡くなってしまった。守る相手と、愛する相手が全部なくなってしまった時、人はそうなってしまうのだろうか。

 

訪ねた石巻湊小学校の教頭先生は、津波で息子さんと父子2人助かった。その息子さんも、20歳になってすぐ、訪ねた日から丁度2週間前、交通事故で亡くなってしまった。私を迎えてくれた笑顔からは、その悲しみは全く想像つかなかった。悲しすぎても、人は強く、微笑む事ができるんだ、、、。

 

星先生が、震災後、子供の教育上で一番大切に思ったことは二つ

1)健康な体

2)誰にも頼らず生きていく力(+そこそこの学力、C判定以上)

3)人を思いやる心

 

『教訓』三本柱(こちらは復興前から、復興当時もそのまま維持)

芸術(響け大空へ)

体力(栄光への出発)

精神(ふれあい)

 

 

誰にも頼らないで生きていくことは難しいだろう。でも、そこで先生は「人は優しくなければ強くなれない。強くなければ生きる資格なし」とまで、言い切った。

 

この話を伺ったお陰で、自分の子育て中の悩みを吹き飛ばしてくれた。学力がなければ何も学べないという錯覚に陥っていたから、自分の子供の教育に対する偏ったエネルギーに気づかせてもらった。

 

私が愛をエネルギーに例えたらの話、、、

人には何度もチャージできる愛の充電池の様なものがあるのかなと思う。人から愛を受けた時はそれを貯蓄して、人の為に何か行うとそこから愛の電流が流れる。喜ばれたら嬉しくてそれがまたチャージされる。その循環を自分で起こす事ができれば、人は誰かに頼る事なく生きられる。助けて貰うべき子供達も、愛の受け取り方と渡し方を知っていれば、自分を失う事なく生きていけるだろう。

遺伝子的に自殺が多い遺伝子もあるらしい。だから、きっとこの充電池の大きさも性能も、多少生まれつきに差がもあるかもしれないし、いい性能でうまれても取り扱いを間違えたら、機能しなくなる事もあるだろう。

 

 

情操教育の大切さは昔から言われるが、それこそが愛というエネルギーの循環を知る事の様な気がする。人と人の間でのエネルギー以外にも、愛というエネルギーは満ちている。自然と人、物と人の間、人と動物の間。人の気持ちを読めない人、EQが弱いから空気が読めないなどという人もいるが、そんな人たちも、きっと別のエネルギーを感じ、吸収して、また他の形のエネルギーとして還元できるクリエーターもいるし、技術者もいる。

 

動物は本能でエネルギーをコントロールしているが、ペットの犬や猫も、トイレトーレーニングを上手くやって、ドッグトレーナーの手にかかれば飼いやすくなり、人間も可愛がりやすくなる。人間は大人になるにつれて、意識で愛をコントロールしている。駆け引きをしたり、お金で測ったり。

人間も赤ちゃん時代の様に、お腹がすいたら泣き、暑かったり寒かったら泣き、背中が痒かったら泣き、トイレに行きたかったら泣く、、、という所に戻ったら本当の自分に帰って、自分を生かしてくれれている愛に気づくのかもしれない。

 

Vitamin Eが、ちょとやる気モードになっているので、最近は気持ちが落ちたとき励ますのが私の仕事だっと思っているが、先日いつも読まない様な難しそうな本を持ってきた。

「本が大好きなTちゃんの様になりたいから、私が頑張ることは、まず本が好きになることだね。今までは本は敵だったから」というE。感情のコントロールを教えたいので、多少のストレスに強くなるように、チャレンジは大事だと思っている。

「ママの生徒はみんな楽器が上手になっているけど、なんでだと思う?」と聞いてみた。本当は「ちゃんと話を聞いて、頑張って練習してるからだよ」という答えを望んでいたのだが、「ママの愛がすごいから」と涙の出る愛の言葉をくれた。いつも生徒の方が愛を受けていると思っているVitamins。「生徒さんにあんまり怖く、厳しくしないでね」と、注意もくれるVitamin E。自分こそがEに一番 愛を注げる相手だと自負しているVitamin A。

 

これからEが身につけなければならない、人とのコミュニケーションスキルは、大人を相手にするのではなく、学校や同世代の友達を作る事が必要不可欠になる。大人世代は確実に先にこの世を去っていなくなってしまうからだ。その為には今のクラスは小さすぎる。去年まで同じクラスだったTは、スペシャルクラスを卒業してしまった。スペシャルだから、勉強は出来なくてもいい、、とみんな思っていると感じていたE。ゆっくりでも成長して欲しいという、私たち家族と先生方の愛(期待)がようやく伝わって、やる気になったのだと思う。

 

2人はこのところ、ずっと私のメインVitamins。愛の充電。

 

あなたは愛の充電を何でしますか?