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生きてる?

うちに、陸亀のメープルがやって来た。

ペットは買えない賃貸物件に住んでいるので、犬や猫は大好きだけれどずっと飼えない。子供たちはどんどん大きくなってしまって、駄々を捏ねたりする事もなくなったが、内心はいつもペットを欲しがっていた。

 

大家さんが唯一許してくれているのは、玄関のポーチを改造したサンルームに、水槽を置く事。コンクリートの床内にカーペットを敷いてあるだけなので、万が一すいそうがひっくり返って水浸しになっても、家は傷まないから、、、と言う理由から。

 

長い間、水槽は置かせてもらって、熱帯魚を飼っている。夫の趣味というか、サービス?なので、私は一切手を出していない。だからあまり愛着はないけれど、たまに掃除をしてくれたあとは、綺麗なグリーンや魚たちが色鮮やかで、心和む。赤ちゃんも生まれたり、時には突然死んでしまう魚もあって、それをまた食べてしまう魚、、、自然界の縮図を見せられる。

 

その水槽で長年緑亀も一緒に飼っていた。でもあまりにも他の魚たちを攻撃してしまうので、別の水槽にしてもらった。その子はにはサムという名前を付けて、通ってくる生徒たちも可愛がって餌をあげたり、人懐っこいところもある亀だった。うちに来た頃と比べて2倍近く大きくなったていただろうか、、、。

 

亀もきっと寂しいという感情があるに違いない。一年程まえ、時に可愛がってくれていた生徒が日本へ完全帰国してしまった。そして間もサムも動かなくなってしまった。

 

その寂しさを埋めるように、数ヶ月後夫が陸亀を連れて来た。その名はピーター。娘たちも私も、サムのように寂しさで死んでしまうことだけはない様にと、可愛がり過ぎるほど、可愛がった。飼い方は、ほとんど分からないけれど、ペットショップの人に聞いて、できる限り良かれと思うことをした。

 

なのに、、、コロナの自宅自粛宣言が出て間もなく、ピーターも天国へ。裏庭の芝生に出して太陽に当てたのが良くなかったんだろうか、、、でもあんなに幸せそうなピーターは見た事がなかった。亀だというのに、とっても速足だった。

 

それから半年、、、リクガメ用の水槽は、片付けられず、ずっとそのまま放置。「夫に片付けたら?」と言ったら、怖い顔で「何で?」と、睨まれた。きっと一番寂しがっていたのは夫だったのかも。

 

そして先日長女の誕生日にメープルが来た。またふと死んでしまうのではないかと、動かない時は、寝ているのを確認するまで目が離せない。娘たちが赤ちゃんだった頃、「突然死」の恐怖から、目が離せなくなっていた頃を思い出した。

「生きてる?」「息してる?」常に確認。

 

ペットが精神安定や情操教育に良いというのは、よく聞く話。

昨日は女3人で久々に外出成功だった。ちょっとモールに出かけて買い物して帰るだけなんだけれど、普段は出発時にいろいろ揉めて、結局AかEが一所に出掛けないという事が多かったこの頃。「もう変な焼き餅とか、ジェラスとか、駄々っ子とかしないでね」と先に釘を刺しておいたが、「メープルがいるからそんな気分にならない」とVitamin E。友達付き合いがないのも、気にならなくなるそうだ。

メープルのおかげで、明らかに小澤家のリビングルームの空気は変わった。

 

世間では色んな生死が、報道されている。この前までテレビで見ていた何人かの有名芸能人たちも他界し、ご近所でもたまたま何人か続けて他界され、同世代の知人、子供世代、親世代、、、生まれる喜びの数より、失う悲しみの数の方が多い。。。それは単に自分が半世紀を超えてしまったからだろうか。息をして、ご飯を食べて、泣き、笑い、怒り、喜び、働き、寝る、、、を繰り返す日々。いったいいつまでこれが繰り返されるんだろうという、ちょっと疲れた時に浮かぶ不安と幸せの中間の様な感覚。そういう時は、ただただ自分より長く生きている先輩方を尊敬する。

 

生きているということは、生かされているということ。

後数秒間違えば、大きな事故に巻き込まれただろうとか、後数ヶ月行動を遅らせていたら、あの出会いも経験もなく今の自分は無かっただろうとか、ミラクルばかりだ。あの日、あの時、その時の偶然と決断に従って、その奇跡に感謝して、今ある自分の命を全うできる様に大切に生きなくてはと思う。

 

自分が自分を大切に出来ているか、それを納得したい場合は一度あちらの世に渡って客観的に見るしかない。そのせいか、たまに自分が死ぬ夢を見る。もちろん死にたいと思っているわけではない。でも眠るという行為自体、体から魂を休ませる行為の様な気がするから、朝起きると同時にまた生き返る。