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自分の整理法

自分の整理の仕方

 

整理整頓が得意な方?得意じゃない方?

 

得意ではない方だと思う。

 

コンピューターのファイルの分別にも困る。

自分の頭の中も常にいろんな事が巡って一つも形にならない事がある。

 

一生懸命分別して、片付けたら、果たしてあれはどこに行った?となる事も多い。

そんな私だけれど、歳とともに少しずつ優先順位を決めて、3つのカテゴリーから自分自身を整理整頓してみた。

 

人間関係は?

 

来るものは拒まずの精神で、とにかく受け応えるのがサービスというか、受け皿が大きい方がいいと思い、何でも受けて来た。いろんな誘いも自分の時間と労力があれば、とにかく受けれる。実際自分がその相手を幸せにできれば、受けた価値はある。ちょっとした違和感があっても、自分の努力で何かを変える事ができるのではないかと自分を磨くためと言い訳をして受け入れてきた。

でも最近は、自分がその相手を幸せにできる自信がなければ、その時はその相手を受け入れるべきではないと思える様になった。自分の時間は限られている。自分が

できる事も、抱えられる人間関係も限られている。そうしたら、自分の将来のビジョンと今が繋がっている人間関係が大事で、繋がっていないと思える人間関係は、無理して繋いでおく必要がないという事になる。自分の将来のビジョンが決まってきたから、人間関係においても、はっきりした線引きができる様になったのかもしれない。

 

持ち物は?

 

アメリカに来た24年前、スーツケース2個分しか荷物がなかったという事が信じられない。物欲がなかったわけでは無く、単に衣食住に余裕がなかったから、最低のものしか持てなかったと言うだけ。そして段ボール一つ送るのもお金がかかるので、手荷物で持てる分しか持っていなかった。あと段ボール二箱分の楽譜が当時お世話になっていた友人のお宅に預けっぱなしになっている。いつ手元に戻るかは定かではない。

実家にも小さなブリーフケース一つ分に、私の子供時代の思い出の品々(と言っても初めてもらったホワイトデーの贈り物だったり、成績表や、賞状、小中高の卒業証書、香水の瓶だったり、中学生時代の友達との手紙のやり取りの紙切れだったり)があるだけ。

そして今は、膨れ上がった持ち物。リビングルームは兼レッスン室になっているので、そこにある物全て私の持ち物。楽譜と本と楽器が溢れている。手も2本しかないし、口も一つしかないわけだから、楽器もたくさん要らないのは分かっている。だと言うのに求められたらすぐ答える、、、という性格が災いか幸いかびっくりするくらいに楽器が増えてしまった。引き取って欲しい、買って欲しい、売って欲しい、教えて欲しいと言う、それらの欲求に応えているうちに。。。

そろそろ自分でも精算出来るものはしてしまおうと思える様になった。私が全部引き受けなくても、他の人が引き受けてくれれば良いのだから、、、。そんな風に思っているうちに、サックスの引き取り手が現れた。不思議なタイミング。

 

時間は?

 

これは正しく、自分を幸せにするためだけに使おうと決めた。もちろん大切な友人、生徒、家族と一緒に過ごす時間は削ることはできない。でもだからこそ、その時間をより楽しく、より気持ち良くするために頭と腕を使う。

子供達が小さいうちは自分が動いた方が早く片付く事も多いが、将来ずっと付きっきりでいることは出来ない。手出しする時間をミニマムに抑えてマックスの結果を出すためには、出来るだけ早く独立心を鍛えておいたほうがいい。

生徒にも、手取り足取り教えて一曲上手に弾けたら満足、、、と言う風にならない様に、多少不格好な仕上がりでも、自分でなるべく出来るだけの努力をしてもらってから手を差し伸べるほうが、学習能力を鍛えて、次のステップで応用が効く力を備える事ができる。

私にとって教えることは、ゴールを見せる事だけでは無く、そのゴールに行くためのプランを一緒に考える事。そして自分の手足を使って実践できると言うことを一緒に見届けること。そして行くのは自分自身だと自覚させる事。これはあらゆる場面で使える精神的な技。人のせいにしたり、受け身になった途端に道は閉ざされる。

 

これで自分の整理がついた?

 

基本的性格が変わるわけではないから、きっとこれからも、人からのお誘いや欲求、色んな事を求められなければ頑張れないかもしれない。でも頑張ると言うことを選択する権利を自覚したい。大切な時間をより良く過ごすためには、条件反射的に受けるのでは無く、自分の意思を持って選択して受ける様にする。

実際家の中にある紙類、あらゆるもの、これからの人生に必要か必要ではないかと言う物事の選択も、自分の未来の選択と思えば意外に捗りそう。過去に縛られたら、物に縛られる。現在の自分自身は過去の自分から出来ていると言うのに間違いはないのだが、未来の自分を作る保証にはならないと言うこと。使えるか使えないか一か八かの保険くらいにはなるかもしれないが、未来の信用を作るのは常に今の自分。

20年アップデートされていなかったウェブサイトもやっと作り替える勇気が出た。今の私と20年前の私とでは全く違く人間になっている。当時出来なかった事も、テクノロジーの進歩のおかげで自分でできる事も増えた。その恩恵に肖って。