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無駄な事は、幸せな事

一日特に何に集中するでもなく、過ぎてしまった日など、「今日も無駄な時間を過ごしてしまった」と、思ってしまう事がある。

 

買い過ぎて使いきれなかった食品や、一度も袖を通すチャンスがなく流行を擦り抜けてしまった服や靴。また無駄なお金を使ってしまった、、、と後悔する事もある。

 

あれこれと、最短時間を企てて、いろいろ試した結果、上手く行かず、かえって余分に時間がかかってしまった時なども、考えた時間が無駄に思えてきたりもする。

 

これも時代の流れか、親の教育か、常にそのことを気に掛けるようにしむけられたのか、とにかくいつも最短時間、最短距離、そして最低の経費で最高のリターンを求めているのが習慣化してしまったからか、思考回路はついそちらへ向かう。

 

つい先日「ハケンの品格」というドラマを連日家族で見た。子供の日本語教育のため、、、と日本語放送はいつでも見られようにしている。特にコロナでレストランが開かない昨今は接待もほとんど無く、夫も夕飯は一緒。その最終回をみんなで見ていた時、AI と人間が戦い、AI が無駄と判断した人たちが首を切られ、会社経営者陣も危うい立場になるのだが、その時無敵の派遣社員、大前さんが行った言葉が刺さった。

「人間だけが、無駄な事をする」動物も機械も、無駄なことはしない。

だからそれで良い。無駄で良い。 

 

洋服は、確かに身を包む事が目的。でもその洋服にそれ以外の価値を求めて日々悩み、作りより良い物へと変化させようと、デザイナーさん、洋裁店は腕を振るう。

 

食事も、お腹がいっぱいになれば役目は果たすだろうに、同じものばかり食べる事に飽き足らず、より美味しいもの、より珍しい食材を、調理法を試したくなるのが世の常。そして生まれた食文化。

 

家や建物も、本来雨や風を凌ぐ事が目的だったものが、より快適になるように、建築士、インテリアデザイナーは腕を振るい、より住み心地が良くなるように働きかける。素敵な家具やいろいろな歴史的建造物も、世界の遺跡も古来の人々のそんな無駄から生まれた。

 

こういう行為自体が、実は幸せを作っている。

 

流行の服をいろいろ通販で試しては失敗したり、美味しいスムージーを作ろうとして、毎回美味しくないと言って破棄したり、パンケーキを焼き損ねてほとんど口に入らなかったり。。。よくもまあ、同じような失敗を繰り返すものだ、、、と見ている方は呆れる。そして、「無駄遣いは禁物」と娘たちに忠告するのだが、そこで帰ってきたVitiamin E の言葉。

 

「無駄でもいいじゃん。それが幸せだから。」

 

無我夢中だからこそ理性が働かず失敗する事もある。その行為自体が幸せだったからいい、という考えなのだ。そういえば2年ほど前、『スライム』と呼ばれる粘土のドロドロとした液体をかろうじて手の中で遊ばせられるくらいの固形にしたものが大流行りした。

それを手作りする事にみんな子供たちは夢中になっていた。「木工用ボンド」「洗濯洗剤」「ベーキングソーダ」「コンタクト洗浄液」などを混ぜ合わせ、それに香料、食紅で色をつけ、自分の好みの色形、触り心地になるよう調合する。

暇さえあればとにかく、すくい、捏ねる。完成品を友達と交換したり、中には売り買いしてビジネスをしていた小中学生もいた。

これこそ側から見たら、ただの無駄。。。1ガロン(4.5キロ)ほどのボンドを何度買ったか。これで最後、これで最後と言いながら。

 

これまたVitiamin Eだが冷えパッドのようにして「気持ちいい〜」と言いながらおでこに貼り付けて寝たら、次の朝前髪全部固まっていて、ざっくり切った事がある。

カーペットは色のついたスライムの出来損ないがこびりついて、固まって、取れなくなっていた。大家さんにカーペットクリーニングをする様に命じられて頼んだところ、「こんなに汚いカーペットは見た事がない」と驚かれた。クリーニング後も全く取れなかったし、かといって変えてもらうことはできないから、今も子供部屋の床は色とりどりの硬く固まったシミがついたままになっている。素足で歩くと、踏んでちょっと痛い時がある。

そのシミでダメになってしまったのはカーペットだけでは無い。お気に入りの服やバックにも付いて取れなくなって、使えなくなってしまった物もある。。。その度に「あー、、、もったいない」を私は連発したが、本人は全く動じない。家族中が彼女の「スライム作り」を止めようとしたが、そのスライム熱は携帯電話を初めて持った日まで続いた。

 

夢中になると周りが見えない、、、というのは血を引いている。

無駄が幸せだと言い切れる我が娘。

断捨離をさせようとする母親。

 

そうして、作り溜まったスライムを、この新学期の始まる前の大掃除で自ら処分していた。全く無駄だとは思っていないらしい。。。(お小遣いは結構な額を費やしている)清々しい顔で「ママ!綺麗になって嬉しいでしょ?」と、別の意味で幸せそう。

 

そもそも物質有り余る時代に生まれ、勿体無いという気持ちがないので、物を手放す事にも全く抵抗がないのだ。その点過去に縛られる性格からか、5歳違いの長女は全く物を手放す事ができない。。。無駄な物をため込む、、、これもまた幸せなのだと思う。

 

私の仕事音楽も、衣食住には全く関係のない無駄な事、、、の分野だけれど、確かに無駄だからこそ、それが幸せだとも言える。人間にしかできない無駄な事。せっかくだから、もっともっと楽しもう。