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サリバン先生

Vitamin E が五体満足に生まれながら、なぜ幼稚園での生活が上手くいかないのか、、、なぜ文字や歌を覚えるのが難しいのか、なぜ数を数えられないのか、頭を悩ませた時に出会った本。目の検査に行き、耳の検査に行き、どこにも異常がないと言われた。見えているのに見ていない、聞こえているのに聞いていないということが起こりうるのが人間の脳の不思議。

 

何をしたら何を伝えられる様になるかと、とにかく色んな本を読み、ネットで調べ、何か他にも、、、と、日本の里帰り中に本屋で出会ったこの本。

 

何か小さい頃から、何故かとても気になる存在だったヘレン・ケラーの先生であるサリバン先生の日記風お手紙。

目が見えない、耳も聞こえない人に、話すことを教え、ものの名前を教え、考えるということを教えたサリバン先生は、どんな人だったのだろうと、、、。

 

『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』〜サリバン先生の記録

サリバン著 遠山啓序、槙恭子訳 

明治図書刊

 

ヘレン・ケラーは1歳半でかかった病気での発熱で視力と聴力を失う。まだ片言で言葉を少し話せるか話せないかの幼少時でのこと。

その日から7歳3ヶ月前になるまで、家族や周りの人たちは彼女への同情で一杯になり、教育という手段をたたれ、コミュニケーションも本当に数少ない手段しかなくなった。Helen Keller 

 

サリバン先生が住み込みで家庭教師になったその日から、学習が始まった。ものに名前があるということもまだ知らないヘレンにDall とCakeの綴りを教えた。そして、食事マナーを教えるために、手掴みではなく、フォークとナイフの存在を教え、ナプキンのたたみ方を教える。何時間も取っ組み合い。愛と服従を教えるまで、この取っ組み合いは続く、、という覚悟で。

 

「奇跡の人」と言われている理由は二つ

視覚、聴覚以外の脳の損傷はなく並はずれた好奇心、行動力、記憶力、想像力を持っていたこと

サリバン先生と出会ったこと

 

 

愛と服従を教えるためにサリバン先生がした事は、時に家族が耐えられない感情を呼び起こし、娘の激しい泣き声を聞くといてもたってもいられなくなり、昔の習慣が呼び戻される。泣き叫ぶと、彼女の言うがままになるという習慣を止め様にも、特に父親が、我慢できなくなって仲裁に入ろうとしてしまうため、それを阻止するために二人は2週間離れで暮らす。その間にサリバン先生の言葉でいうと、「小動物から人間の子供になった」そうだ。凄い!

 

このシーンを読んだ時、我が家の状況が目に浮かんだ。愛と服従。ものを教わる時はリスペクト、、、服従に近いものがなければ、素直に受け入れられない。そして愛が伴えば厳しさも気にならない。夫と私はその二つを物事の裏表のように反対に見ることがあり、夫も私も相手が子供に対して厳しくする時は虐待しているとしか思わなかった。私が子供たちの意志を尊重する時は夫から見たら愛ではなく、ただの甘やかしと思っていたに違いない。そして彼のやっていることに対して、私も同じ様に思っていた。お互い様だ。最近子供は、人それぞれ愛の形が違うと分かり始めているので、動揺することもなく、親である私たちもお互いのやり方をただ受け入れる様になり、見守ることになった。教育の本には夫婦の方針を同じにして、教育するべきだ、そうしなければ何が正しいか、間違っているか混乱する、、、と書かれている本が多かったが、私たちの意見は、やり方よりも、「愛と人間性さえ損なわなければ大丈夫」と自分流のやり方を曲げなかった。この一見矛盾する様な服従と愛を気がつかせることは、たくさんの教育本に書かれている様に本当に時間がかかった。

サリバン先生はたった2週間でやり遂げてしまったのだが、、、。

 

Vitamin A とE は、どちらかというと感情で動く、または感情でしか動かず、理屈で説明してわからせるまでにすごく時間がかかった。生まれつき従順な子供も中にはいると思う。でも、よく言えば意志がはっきりし過ぎている子供達を従わせるのは本当に大変だ。Vitamin Aは外向きは大人しく、先生に対してはその場では従順ないい子なので、うちに帰ってからの大変さを分かってもらうのが難しかった。

命に関わること以外はなるべく自由にさせようとし過ぎたためか、子供の意志を尊重し過ぎて、親の意志も同じくらいに大切だ、またはそれ以上に経験者の話は聞かなければならない、、、ということを時には取っ組み合いをしながら、伝えようとし、それでも中々伝えられなかった。今でもまだまだ感情人間、理屈で動くようになったわけではないが、言葉でのコミュニケーションが増えれば増えるほど、取っ組み合いの喧嘩はしないでも済むようになった。ティーンエイジャーになって楽になった。

 

学校の先生は大勢の生徒を一度に動かさなければならない。いつもそれを始めに教えるのだろう。そこが決まれば、あとは生徒を引率できる。服従、、、ができない子供たちは、きっと学校の先生から見たら『困ったちゃん』

Vitamin Eは先生の説明を理解して行動に起こすまでに、時間がかかる。その時差を埋めるかの様に行動は人の何倍も早い。このアンバランスさが、時にはサボっている様に見え、時には聞いていない様に見え、時には考えていない様に見える。

 

サリバン先生は自分が盲目に近いにもかかわらず、そして盲目に近い状態だったからこそヘレンを体ごと受け止めて、時には手を口の中に入れさせて舌と喉の動きを教え、話す事も教えた。ヘレンは後には演説をして世界を回り、講演をすると言うことで奇跡を伝えていた。

 

プライベートで音楽のレッスンを主にやっている私は、愛と服従とまで大袈裟ではないが、確かにその関係が上手く行くように努める。でも服従だけで、お互いの愛を伝え合えない場合はうまくいかない。服従を教えようとしても、愛がなければ伝わらない。または伝えたい愛がどうしても伝わらない場合もある。そんな時、親御さんのサポートだったり、友達同士の励まし合い、または時間と共にその関係が育って行く。

夫と私の愛の伝え方違うように、みんな違う感性を持って生まれ育っているから、私の気持ちがいつも伝わるとは限らない。特に週に一度30分~〜60分会うだけの関係だから、そこで全てを伝えるのは難しい事もある。徐々にその信頼関係をうまく築けるようになったら、あとは共に成長を楽しみ、共に歩み、共に学ぶ。その時から本当の音楽のレッスンが始まる。

 

服従というと、人間性を尊重していない様な言葉に聞こえるので、私の言葉で言うとしたら、愛と忠誠 の様なものだと思う。でも、Helen Keller の様な何年も長い間人から指示をされたことがなく、そして性格が今でいう多動症の様な場合、そして一度もあったことが無い子供を教えなければならない場合、そして一刻も無駄にしたく無いと言う熱意があり、薬も使わず何かを教えるとしたら、服従から教えなければ、何も受け入れさせることができなかったのだと思う。