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完璧はどこに?

完璧!というのに憧れる。几帳面な性格になれたらいいなーと思うこともある。だというのに、全部しっかり決めてその通りにやるというのが、ちょっと苦手。やってみようとしたこともあるが、ToDO Listを作って順番だけは決めないでおくとか、自由度を少し残しておかないと、とってもストレスになる。だから計画の段階で、大きく週単位で、月単位で、年単位でという風に計画することもある。

 

性格上の問題なのか、ただそれができない自分から逃げているだけなのか。皿洗いをしながら、最後のマグを一個洗わなかったり。キッチンカウンターも何も置かないモデルハウスの様な家に憧れながら、ついつい手に取りやすい方へと、、、断捨離して数を減らしても、減らしても、何か置いてしまうとか。

(ほとんどの場合は作業スペースを作るのがやっとなんですけど、、、)

 

ピアノの周りも、ついすぐ作業が取り掛かれる様にと半分言い訳しながら、出しっぱなしが多い。筆記具、楽譜も楽器も。

 

片付けを始めて、なんとなくゴールが見えてきたら安心してそれからやらなくなってしまったり、欲しいものが手に入りそうになるとどうでも良くなったり、何かいつも完了するタイミングがわからない。

 

完璧を求めすぎるあまり、逆に完璧から遠ざかることもある。リードを作っていると、そういうことは本当によくある。もうちょっと張りのある音、、もうちょっと柔らかい音、もうちょっとダークな音、と触っているうちに、削りすぎてしまったり。

最近はあまり作らないが、デコレーションケーキも盛りすぎたり飾りすぎたり。

度を超してしまうことがよくある。

 

完璧でなければならない、、、と自分で自分を追い込めない。

自分を追い込んでいたまだ20歳前半の頃、「本当にこれは完璧」(その時の理想通りのものになったと錯覚したかもしれない)と思った時に、そのころの師匠にひと頃言われた言葉が刺さった。「完璧だと思ったら、それ以上成長しないよ」

 

その時以来、完璧じゃない探し、、、みたいな事をやり出したのかもしれない。

実際はその後、その時感じた様な達成感は残念ながら、ほとんど感じたことがない。成長しないどころか、後退していってるのではないかと思うこともある。

 

無意識に完璧を遠ざける様になってしまったのか、自分で自分を脅迫しない様に。自分で自分の伸び代をとっておくというのか、、、。そうして安心するところがある。

 

完成した時の達成感は、この上ないことも分かっている。1000ピース以上のジグゾーパズルを人生のうちで何度か作り、最後の一つをはめる時の幸せ。

こんなタイプの達成感を求めて、作曲した曲をYouTube にアップしてみることにしたが。

アート(芸術)には答えがない。アートには、いろんな定義があるかもしれないが、私の言葉で言えば、「自己の追求」からの「自己表現」。

その両方がマックス状態である時、芸術だーと人は感動したり、感動を与えられるのではないかと思う。芸術に関しては自分のありとあらゆる知恵を絞り出した時、本当のリリーフが自分の行為から受け取ることができる。

パズルの最後のピースの役目は、公開ボタンを押す瞬間。その時から、自分だけの曲だった物が公のものになる。その瞬間を決めるのは自分である。

 

 

自然は本当にいつでも完璧に美しく整っている。どの木を見ても、葉や枝の伸び方の均衡は保たれているし、花の形も花びらの形も色のグラデーションも全て 整っている。実はそんな音を求めている。そんな音楽を求めている。若い頃の完璧が目的の完成ではなく、この世のすでにある完璧に添うような(調和した、ハーモナイズされた)音でありたいと思う。