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10年ひと昔

私がまだ子供の頃、母は「高等学校の時に、、、してね。高等学校の時に、、、さんとね。」と、楽しそうに、よくその頃の話をした。彼女は高校を卒業してすぐ地元の銀行に就職し、5年勤めて寿退社をした、その時代の一番王道を行った女性だと思う。高校時代が一番楽しかったのかなーと、子供ながらに彼女の青春時代の写真を見せてもらうのが好きだった。SNOW並みの修正写真で、彼女はモデル並みに美しかった。そして彼女は今までの人生、一度も一人暮らしをした経験が無く、人の気を案じすぎて気疲れを起こし、挙げ句の果てにはそれが的外れだったりするような人。例えば私があまりにも貧乏で忙しかった時、妹の結婚式に呼ばれなかった。祖父と祖母が亡くなった時も、私の事情を深読みし、一番ストレスがないだろうと読んだ時に連絡してきた。父は「そこは違うだろう、早い方がいいんだ」と、意見の不一致を起こしていたらしいが、母の意見を通してしまった。私としては、どちらにしても間に合わなかったし、お葬式にも行けなかったから、連絡をもらうのはどちらかと言えば、早い方が良かった。

母は、自分の意見が通らないと、よく「離婚してもいい、別に何をしてでも生きていけるから」と父を脅していたのを聞いている。父は笑って、「またまた始まった、、、」と言う顔をしていた。私も心の中で父と同じく、「またまた始まった」と思っていた。母が一人で生きていけるはずなど無い。。。と私には分かっていた。と言うか、その勇気がないと知っていた。すごく自尊心の低い自分を卑下してばかりいる女性だった。根は優しいが、それ以上に他人目を気遣い、「人様に迷惑を掛けないように」という言葉で世間の波に乗るように勧めてきたような気もする。かと言って、「人と一緒になるな」というから、もうややこしい。

父の場合、多分私の子供時代私が怒られたのは一度だけ。二人の意見が噛み合わない時は私が通訳(日本語同士なのに)に入って、誤解を解いてあげることも多かった。二人のいいところは、何やかんや言いながら、お互いを尊敬し合っているところだと思う。文句を言いながらも、いつも影でお互いを褒めていた。しかしどの家庭でもあると思うが、一番揉めていたのはお金の話。母は教育にはお金を惜しまない人。父は投資にはお金を惜しまない人。二人とも消費を最高に嫌っていたが、二人ともその点で物の投資という観点での価値観の違いにより、たまに不一致が起こるのだ。話し合うことが苦手だったので、とにかく自己主張を繰り返す二人だった。周りから見ればただの喧嘩。30年前の夫婦の姿。

そんな二人の関係を、下の二人の妹達は全く違うように見ていたらしい。父親はお金だけ持ってくる人。母親はつねに監視する人。「女も自立できるようにならないと、、、」と毎日のように聞かされたと言っている。「だから私たちは女として強くなりすぎて離婚してしまった」と二人は声を揃えて言った。

 

母は、自尊心の低いからこそ、色々ムキになって周りと衝突していたようなところがあった。でも私から見れば、彼女はスーパーウーマン。勉強でわからないところを聞けば、誰よりもわかりやすく教えてくれた。ほとんど父親の勧めで、「楽して儲けよ」と言われれば、何でもハイハイと言ってやっていた。どんな資格も「大卒に限る」というものでなければ、勧められるがままに、取っていた。子育てしながら内職をし、宅建の資格を取り、パートタイマーで仕事をしていた。私が小学校に上がると同時に文房具店を開き、10年やった後「本当はこれはやりたくなかった。あなたがやれと言ったからやっただけ。学費は足りているからやめたい」と言ってさっさとその物件と家を売り、田舎に引っ越した。その後も、また不動産をやったり、建設会社のクレーム係になったり、市史編纂の仕事をしたり、まああれこれ10年ほどやっていた。その時はお金のためでは無く、「お金をもらって勉強できるから楽しい」と、ちょっとはストレスも減ったよう。父の定年と一緒に彼女も退職した。その時からピアノを習い始めた。60の手習。その後は、ゆったり人生を歩んで欲しいと思ったが、妹夫婦二組が相次ぎ離婚。そして孫も一人づつ恵まれたが、その子達の面倒を見るためにまた大忙しになる。子供達の心配を終えた後、孫達の心配。私達は一年に一度会うだけだったが、毎年萎んで行くように見えた二人。その間すぐ下の妹もいい出会いに恵まれ再婚し、末の妹は再婚はしなくともパートナーができた。末の妹は彼女自身が国家公務員であるため、生活自体金銭面では困っていなかったが、緊急事態の時や、子供が熱を出した時など、小さな子供を一人にさせられないと言って、新幹線で子守に行ったりしていた。その後は転勤願いを受け入れてもらい、地元に戻り両親も子守がしやすくなった。この春孫2人+(秋にはうちの娘も大学生)になり、やっと第二の子育てを終えた両親。心配するのが仕事になっていたが、それもようやく退職できそう。

 

先日コロナのことが心配でLINEをしたが、なんだか以前よりふっくらしていた。今年は会いに行けないが、去年金婚式のお祝いを一緒にできて良かった。Vitamin Eは私に、いいおばあさんになって欲しいという。私も、スーパーおばあさんになれるかな。