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言葉を超えたシンクロ

よく娘たちが口癖で、「今日は良い日だった!」とか「悪い日だったとか」とか呟いているが、そんな時は「良い事と嫌な事とは表裏一体。結局のところ同じ一日なのだから、どちらにフォーカスするかで、気分が変わるよ!とアドバイスすることにしている。ポリアンナ方式の「よかった探し」をするべしと。

そんな私でも、ポリアンナでいられない、自分でどうしようもない気持ちを抱えることもある。どうしてもコントロールできない気持ち、それは命の喪失感。

 

自分は大泣き虫で、人の涙をすぐにもらい、アニメーションを見ては泣き、本を読んでは泣き、妹が怒られるのをては泣いていた。話そうとすると、感情が先に立って泣けてくるのだ。4歳くらいの時は話せない子=何も分からない子として2歳児クラスに入れられた。親に話したら、すぐに他の幼稚園に変わった。そしてその幼稚園でも泣きすぎて、すぐ大道具がしまってある納屋に入れられた。「泣き止むまで出しません」「お弁当は無しです」などなど脅しが続き、閉所恐怖症プラス幼稚園嫌いになってしまった。これまたほとんど月謝だけ払って幼稚園には行かず(今でいえば引きこもり?親は何も心配していなかったらしい)出席カードは毎月あったお誕生会のパーティーの日だけシールが貼られた。お菓子がもらえたから、その日は必ず行く。先生の私の噂は全く分からないフリをして全部聞いていたし、親の日記も盗み読む、寡黙な子だった。

 

そんな人生が、なぜ7歳直前までとだったかかと言うと、小学校に上がったその年、担任の先生から私の人生を変えた一言があったからだ。私がある失敗した事を泣きながら打ち明けると「よく自分で言えたね」と褒めてくれたのだ。ほとんど嗚咽で何を言っているか分からなかったはずなのに。他人に褒められたことなど、それまで一度もなかったと思う。その日から私は学校が好きになって、友達と話すのも先生と話すのも、大きな声を出すのも平気になった。変わらず泣き虫だったけど。あの先生に出会わなかったら、私は何歳まで話さない子だったんだろうと。自分の知らなかった自分を知った瞬間だったと思う。

 

ポリアンナになった私は、涙をコントロールする術を知ってしまったので、人前ではよほどの事がない限り涙しない。でも本当は声を上げて泣きたい時もある。

そして先週、また悲しいお知らせがきた。

まだ成人前の娘さんを、たった数ヶ月の闘病であっという間に亡くしてしまったお友達。まさしくコロナのロックダウンの時期と重なって。もう二度と桜を一緒に見る事ができない悲しみを、『最後の桜』と言う曲ににして私は音と一緒に泣いた。数日後共通のお友達から「桜子さんにレクイエムをお願いね」と頼まれたその時のショックと言うか衝撃は忘れられない。その曲はそのメッセージを受け取ったとほぼ同時に完成し、偶然にも桜子さんのお名前は曲の中に入っていた。不思議なシンクロだったけれど、私の気持ちがもっと伝わっている気がした。まだ彼女には届けていないのに。 言葉を超えたシンクロ。